<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-5264198271574770590</id><updated>2011-04-22T05:58:10.844+09:00</updated><category term='070324｜山賀ざくろ'/><category term='080426｜オトギノマキコ'/><title type='text'>面接画報</title><subtitle type='html'>インディペンデントなアーティストによるマニアックな大人の会話</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/5264198271574770590/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>手塚夏子 Natsuko Tezuka</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03608791654012026025</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>2</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-5264198271574770590.post-2344028891281646716</id><published>2008-04-23T12:13:00.014+09:00</published><updated>2008-04-24T07:48:42.938+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='080426｜オトギノマキコ'/><title type='text'>オトギノマキコ　インタビュー</title><content type='html'>オトギノマキコとの出会いは、横浜のあるダンスプログラムでスタッフをしていた時のことである。オーディションで彼女のダンスを見たとき、自分のダンスに近い原理みたいなものを感じた。私は周りの様々な物事に「反応する」要素が強いけれど、彼女はその時イチゴジャムを口の中にほおばって、口の中全体で甘みを感じ、その甘みが体全体を反応させているような印象を受けた。それからもう何年経ったのだろう、彼女にも紆余曲折あり、踊れなかった時期を経て、今回久しぶりに東京でダンス公演を行う。紆余曲折の間には、精神的に追いつめられた経験もあるそうで、その経験からうつ病など様々な病について洞察して気功の勉強もしている。今回の公演は、気功の講座とワークショップも体験できるという贅沢なものだ。気功のワークショップは、様々な人に体験してもらい、それを言葉にしてほしいとのこと。詳細は右の公演情報をご覧ください。彼女のダンスについての話は、「世界をどのように感じるか」というテーマに触れ、私自身の作品作りともリンクする興味深いものとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈コミュニケーション手段としての表現〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　人と対話しているとき、人の話を聞いていても、同時に頭の中で「話す」時に使っている脳も働いているって知ってました？『ミラーニューロン』っていうのがあって、相手のまねをしているみたいな感じで相手の表情や体からも、それを自分の内側でトレースして認識しているようだということが、あるとき発見されたんですって。とても面白いなと思って、手塚さんの作品はそれを意識的にやっているようで面白いです。対象化ということだと思うけれど。そうでなくても家族とかの場合、子どもが親から何を読み取るかという時にすごくそれが現れると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、人と話しているときに、内容ではない何か、もう一つ別の次元で、読み取っている感じがあります。場所ということに対しても、その場所の具体的な状況だけじゃなくて、そこには見えない何かがあると感じるんです。人と話す時は、読み取ろうとするということが自分はちょっと過剰だと思う。過剰に読み取ろうとしてしまって、そこに自分の思考パターンが入ってしまうので、何かを思い込んでしまうような時もあるみたい。だから、脳の判断だけに流されないように、妄想に対して気をつけています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　会話で多くの場合は、その読み取るということで判断しているような気がするよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　実はそうかもしれないね。だから、会って話さないと分からないというか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　電話とか、違うよね。メールはもっと違うしね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　でも更に複雑だなーと思うのは、会って普通の回路で話しているときの、その人が表層的に見えている時だけじゃなく、もうひとつ、作品になっている「何か」とかその人が書いたもの、描いた絵とかでもいいのだけれど、もうひとつ自分の中で編集してアウトプットしている何かにも、その人の本質的なものをとても感じるんだよね。だから両方見ないとその人が分からないと思う。どっちかだけでは分からない。だから、その人の言葉でそれを聞きたいということに加えて、何かを文章にしてもらったりして初めて「こういうことだったのか」とか思う。色々な面を見てじゃないと、人の事を誤解してしまうんです。ある面だけを見て「ああ、こうなんだ」と判断するのは危険だな、されるのも嫌だし、だから様々な面を見るひとつとして、表現を見るというのが、コミュニケーションの手段としていいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈現実とファンタジー〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　文節とかコラージュとか、「ありえない繋ぎ合わせ」みたいなことがすごく好き。そういう世界を作りたいんです。たぶん、「バリ舞踊」を見たときにすごく強く惹き付けられて感じるのは、そういうところです。たまらなく入って行っちゃう。例えばこう、ヒーリングミュージックならヒーリングミュージックでもいいんだけど、それにあわせて一つのトーンだけで踊られているものとか、ムーブメントみたいなものとかには、気持ちよさは感じても何か平面的に感じてしまう。作品の背後にある何か見えない仕掛けというか、何かが何通りにも複雑にくみ合わさっている仕組みみたいなものを感じると、夢中になってしまうんだよね。バリ舞踊のすごい所は、ひとつの踊りなのに、仕組みというか「縦軸、横軸」を感じさせるような何かがあって、それが微妙にずれたり、入ったり、複雑になっていて、物語が交差していてうわーと感じさせるところがあって、強く作品性を感じるんです。一番好きな踊りですね。そこに凄く感じるものがあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　私もインドネシアの演劇ワークショップを受講したことがあって、その講師の先生は、インドネシアの古典舞踊を小さい時からやっていた人だったんだけれど、稽古でおもしろかったのは、体をいろいろな部位に分けて、頭だけを、蛇になりきって動かしたり、手だけ、胴体だけ、足だけというように、それぞれある生き物になって、そこだけに主導権を持たせて動かしたり、その後、それぞれの部位が別々にしかし関わって動かすという訓練等をやったんだよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そういう、頭だけが蛇になったり、体をすごく細かく分節して、そこだけ動かすとか、手塚さんの手法だと奥歯の歯茎を意識したら、それが踵と繋がるみたいな、そういうような事に、よりリアリティーを感じるのね。漠然とした流れるムーブメントみたいな、気持ちいい動きみたいなものは、稽古としてはやれても、そのまま作品にするということではないな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　体の欲求と、作るという欲求がまた別々にあるということ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　というより、ファンタジーと現実の違いという事に近いかもしれない。私にとって「体の欲求」が叶うというだけのこと、というのはファンタジーと感じます。今現実にある世界を切り取ったものの方を、作品にしようとしています。「自分の体だけが欲していること」と「世界観」とのズレ自体が作品と言ってもいいかも。すごく気持ちいい中で、例えば川のせせらぎで踊るという方が気持ちいいに決まっているというような「動き」があるとしたら、あえて歌謡曲とかノイズみたいなもので、脳と身体を相反させる。本当にやりたいことは別にあるのかもしれないけど。素直に気持ちいいことが人に見せることではない気がしています。それは現実の世界とは違い、ファンタジーだと思っているから。作品とは呼ばないかな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈オトギノさんの世界観〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　「現実の世界を切り取る」という時の世界という言葉と「自分の世界観」という言葉はニュアンスが違うように思うけれど、例えば「オトギノさんの世界観がよく出てるよね、この作品」みたいな言い方の世界観と違うよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　私の世界観というのは、私のフィルターを通して私の目が見ている世界の認識という事ですね。そしてそれが作品になっていく。世界は様々なことが入り組んでいる状態であって、そのように世界を見ていますということだと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　また、それをアウトプットする欲求があるということだよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そうだね、アウトプットする欲求はあるよね。それは、第一に自己治癒だな。まさに、そのことが起こっている自分に「起こっている」ということを知らせる。対象化ということだと思うけれども。それから、自分の体に「こうやりたい」という欲求が入り組んだ状態で在る。ただ気持ちいいだけではなくて、ちょっと嫌な不快感がある状態で、ちょっと気持ちいいという感じ。「ここは気持ちいい」けれど「この辺はすごく、痙攣している」ということがあって、それら全体で気持ちいいんだよね。ここは緊張していてここは緩んでいるとか、緊張と弛緩が繰り返せることが気持ちよくてずっと弛緩している状態だと、それが「気持ちいい」ということが分からなということもあるよね。相対的に体の状態を比べないと、ひとつの状態が認識できないという感じがある。そして、作品としては、コントラストで見せるという事を考えます。例えば、体のズレとかは、ここにまっすぐの線を引く事で、この歪みがさらに際立つように見えるとか、そういう作り方をしています。色彩みたいなものも、対比させて見せる。空間の使い方とかも、ここでこれをやることに意味があるとかそういうことが大事ですね。劇場では何が行われようと、たとえ血を流そうと、演劇の一つのして何でも許されてしまうというところがあって、それってぜんぜん私にとって興奮できないけれど、見ている動きが歪んで行って、入り込んで見てしまうというようなことが起きる時、私が見ている世界観を集約させて感じてもらう事ができる気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈手塚は動きたくない人、オトギノさんは動きたい人〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　基本的には、欲求みたいなものが自分を突き上げてどうしてもそれをしちゃう、みたいな物の延長線上に作品とか踊るということがあると思うけれど、そういうところで私は「体が気持ちいい」というようなことは考えた事がなかったんだなと、今の話を聞いて思った。「作ろう」とか「作らなくては」みたいな所からスタートしているから。それは何か自分の場所をどうしても作って行かなくてはいけないというような所から始まったような気がするけれど。だから「作る」というのが自分の前提としてあって、その時に結局は自分の欲求というのが大事なんだなと思うようになって、またもうちょっと自分の欲求を解放していこうというふうになったけれど。そう考えると自分の体はそんなに動かしたくない、移動もしたくないというところから、自分の体の一部に意識を集中するというようなことが出て来たと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　いわゆるダンスする、リズムに乗って動かすという欲求が体の中にあるわけではないということ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　元々はぜんぜんなかったと思う。元々はって、どこを元とするのかにもよるけれど、たぶん、成人していってそうなったのかもしれない。例えば「クラブ」で踊ろうということになって連れて行ってもらっても、困ってしまって、無理矢理それっぽく動かしてすごい笑われたりして、それでいやになっちゃうみたいな。そういうのはどう？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　私はたぶん動きたい人なんだと思う。だから、私の中のイメージでは、バレエとかオリンピックの跳躍している人とかを見ている時は、自分の中でトレースしていると思う。その人そのものになって飛んでいる。ネバーエンディングストーリーのファルコンが空を飛んでいるのとか、自分が乗っかってしまって見る。あと、マドンナとかマイケルジャクソンとかを見たときに踊っているんだよね自分で。その動きができないのにかっこいい動きをやっているつもりなんだよね。外側から見たらそれはできてないんだけど、そのズレが、欲求と作品の違いかな。それが出来てしまったら、私の欲求はかなうかもしれないけど、作品ではないんだよね。それができることは私にとって世界じゃないんだよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　世界じゃないってどういうこと？何をさして世界？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　世界という言葉は「現実」というような意味で使っているんだよね。世界地図の世界ではなくて。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈叶わないものへ向かい続けるベクトル〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　それがかなうのが世界じゃない、ってどういう意味だろう。もしかなっていたら、それが現実に起きた事ということなので、それが「現実」と言えてしまうよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　私の欲求というのは「絶対にかなわないことを思う」ということから始まっているので。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　かなわないことを思うのが、望んでることっていうこと？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　体はいつもかなわない望みに向かって走っているというか、そういうふうに飛びたいとかもっと高くというふうに体が夢想しているというのが作品で。もしかなったら、それは違うものになってしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　何と違う？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　世界としか言いようがないんだよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　世界観？オトギノさんの世界観とは違うということ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そうだね。私が見える世界のことを言っているんだからそうだね。体がそれに向かって憧れたりとか、例えていうならスプーンを曲げようとしてすっごい必死でこすっているというような、念というのかな、すごい必死でやっている状態。大野一雄さんの「アルヘンチーナ」とかの気持ちが分かるんだよね。私が「松田聖子」を踊るみたいな感じで、彼は「アルヘンチーナ」を踊っている、それになりきりたいという。外側から見るとそれがまったく違って見えるというのが、その遠さが作品になるんだと思って、それを作品と呼ぼうと。それが私の欲求とか、望みとかベクトルというのかな、何かに対してがーっと思う、集中力みたいなものがこういうふうに現れるというのが、作品にすることで俯瞰してみえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あと、基本的には何かに集中したいという欲求があるんだよね。欲求の原点はそれかもしれない。しゃべる時も、踊る時も、恋愛でも、その人を分かりたいと思うときに全力で相対したいというような。そういう力の向け方があって、それが踊りでもあって、例えば私自身の漠然とした不安とか、死についてとか、ネガティブな要素に対しても集中してしまうんだよね。それはつらい事なのだけれど。どこかで、その欲求があるんだよね。そこが不思議なところで、体は快の方に向かっているとも言えるけれども、不快を感じる事が快であるという、逆転した感じがあるよね。とにかく不快でも快でも何でもいいから感じたいというか、「ここにある」ということを。だから、リストカットの話とかはまさに本当にそのままそうで、同じなんだと思う。それを感じる事でとにかく「快」に変わる、逆転して「居る」という感じがするというか、そんなような力の向け方だよね、その時の。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　ということは、「実感したい」とも言えるのかな？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そうたぶん、実感したいって感じかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　自分が「居る」ということを実感したいという。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　私の場合、たぶんその理由になっているのが、「体が自分のものではないような気がする」という、たぶん「気」が足りないということだと思うのだけれど、&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　自分の物じゃないという感じがするというのは、嫌な事？それを克服したいというような気持ちがあるから実感したいという方向に行くのかな？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そうだね。舞台とかでは今ここで私が「密」に居るという感じがあるよね。でもここに何かがあるとかっていうような、実感のしかたではないんだよね。自分の粒が広がったり、自在に動いてる感じで、動きによって、自分が居るということが分かる。「丹田」というものの感じ方にしても、ここに熱いものがあるという感じ方じゃなくて、たくさんの矢印がここに向かって走っているぞ、という、その矢印の向かってくる動きの方を感じるんだよね。だから、存在するというようなことも、「存在しようとして」と感じているのではなくて、過程みたいなもので感じている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　何か相対的な相手を見つけるということ？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そう、そうだね、だからコントラストってことだと思うんだけれども。ココでこれをするから感じるというようなことで、漠然とした場所でそれをやっても、あまり対比になるものがなければ感じる事ができないのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　鋳型として、自分の存在を感じさせてくれるような対象を、自分を相対化してくれる対象を求めるということかな？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;マキコ&lt;/span&gt;　そうそう、だからたぶん、オーディエンスがいるんだと思う。自分だけでは絶対分からないんだよね。うん。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚&lt;/span&gt;　面白い話が聞けてよかった。ありがとう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/5264198271574770590-2344028891281646716?l=natsukote-recome.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/feeds/2344028891281646716/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=5264198271574770590&amp;postID=2344028891281646716' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/5264198271574770590/posts/default/2344028891281646716'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/5264198271574770590/posts/default/2344028891281646716'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/2008/04/blog-post.html' title='オトギノマキコ　インタビュー'/><author><name>手塚夏子 Natsuko Tezuka</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03608791654012026025</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-5264198271574770590.post-6929840610603186863</id><published>2007-03-24T07:33:00.000+09:00</published><updated>2008-04-24T07:47:41.396+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='070324｜山賀ざくろ'/><title type='text'>山賀ざくろ　インタビュー</title><content type='html'>ある冬の終わりに、東京でとあるダンス公演を観に行った。子どもがいるので久々の劇場である。そこで、前橋からはるばる見に来ていた山賀ざくろに出会った。「よー、劇場でよく会うねー」という感じで、帰りに軽く対談しました。対談するのは面接画法で２度目。かなり、軽く雑談してるけれど、結局ダンスについて、アーティストについて深く考えることになった。&lt;br /&gt;３月に二人とも本番を控えている。作品を創る前にいつも色々な事について改めて考えさせられるけれど、この会話もそういったキッカケの１つになったかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈お互いの作品づくり〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;そう言えば、どうやって作品創ってるか、手塚にちゃんと聞いたことなかったなー。去年BankARTでやったのと今回のは違うやりかたなの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;同じ手法だよ。同じなんだけど。変わってるよね。もうダンスなのか？っていうギリギリの所かな。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;俺のは「ダンスだよね」ていう感じだからね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈「ダンス」とは？〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;えー、観た感じ「ダンスだよね」っていうほどハッキリしてないと思うけど…。それ、自分の中ではダンスだよねってことだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;ま、俺としては「いいダンスですね」って言われるのがうれしいけどね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;でも逆にハッキリ「ダンス」に見えるだけなのは、本当に切実さからは遠く見えるんじゃないかな。それが、本人にとっての切実さに繋がっていると、「あ、山賀ざくろの切実さが見えた」てことになるのであって、なるほどこういう「ダンス」ですか、みたいに、「ダンス」という言葉が浮いては見えない。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;目指すのは、そうだよね。そう言う意味ではいくら上手くても駄目なんだよね。「うまいね」で終わっちゃうんだよね。「じゃあ、あなたはどういう人なの」ていうそれがね、見えないことには、それは一番見えるようにしたいんだけど。それでも「いいダンスですね」って言われたいっていうのはあるな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈歌舞伎の中に見たダンス〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;こないだ、浅草に歌舞伎を観に行ってさ、新春浅草歌舞伎を。これは若手がやってるんですよ、20代くらいの人達がね、主役をやるようなね。「身替座禅」という演目をやった中村勘太郎がすごくよくてね。台詞ももちろんあるけれど、舞踊的で体の動きで見せる作品だったんだけどね、細かい所作や間の取り方とか、お囃子にどんぴしゃでシンクロしている体の動きから溢れ出る心の動きがダイレクトに体感できて、観ていてついつい自分の心も体も踊らされてしまうような。人の見ていてそういう瞬間があるのがいちばん心地いいわけで。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;ダンスでそう言うのは無いんですか？最近&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;コンテンポラリーダンスだとそう言うのがあんまりないんだよね。手塚の去年のBankARTのも、観ていてほとんど心が踊るなんて瞬間はなかった（笑）。でも、つまらなかったのかというと、そうではなくて、川の流れや雲の動きをぼーっとずーっと永遠にながめているような気分にさせられたわけだから、やっぱりすごい作品だったよ（笑）。心が踊ってしまうような快感はないにしても、あの時間はなんだったんだろう？という、後々に何か引っかかるものが残るダンス作品はもちろんある。おもしろい人、変な人はいっぱいいるもん。ただ自分の求めるダンスと違うっていうのはあるかな。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;具体的に今はどういうダンスを求めているわけ？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;ダンス始めたのはね、バレエダンサーがピルエットくるくる廻るのとか、劇団四季の人とか足を真上まで上げて踊るのをテレビで観て、うわーすげー！俺もこういう風になりたい！って思ったのがきっかけなんだけど。それなりに長いことダンスやってきて、自分の好きな動きというか、やりたいことがハッキリしてきたと思うんだよね。ダンス始めたころはどんなダンス観てもほとんど全部感動してた（笑）。今はね人の作品観てても、自分だったらどうするだろうとか、どこか冷めた目でダンサーの動きを追っていることがよくあって、そういうのがあるから、色々コンテンポラリー観ても、純粋に楽しめるってことがあんまりないし、残念だな。だから「歌舞伎を観る」とかそういう事の方がいいんですよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;じゃ、歌舞伎の何が山賀っちの心を動かす要因になるのかな？芸の確かさってこと？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うまいというだけじゃない何かもあると思う。「その人」が見えるという感じはあるな。それと「そのキャラクター」が良く見えているとか。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;でも、芝居でそのキャラクターがよく見えるというのとは違うんでしょ？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;でもそれも少し共通したモノがあるかな。それも体の中に反映させているというか。歌舞伎は鳴り物があって、「ドンドコドンドコ」と鳴っている中で、体の動きを当てはめていくわけでしょ。そういう意味でも好きなんだけど。あ、そう、日本ぽいモノが好きなのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;へー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;日本舞踊でも京舞なんかのあのゆっくりとしたのより、わりとアップテンポのが好きだなっていうのが前からあってさ。体が反応する。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;どういうところが好きなの？あるいはどういう要素が好きなの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;テンポとか、メロディーラインとか、お囃子とか。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;なんで、他のダンスのリズムと違ってそういう日本ものの、要素が好きなの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;たまたま…&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;えー…考えてみてよー。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈歌舞伎のリズムと山賀のリズム〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;そういうビートだけじゃなくて、お囃子に「よっ！」とか「はっ！」とか入るじゃない。弾きながらさ。ダンスだと裏打ち、ん・ちゃ・ん・ちゃ、みたいなさ。それとはまた違うんだけれどもさ。そういうノリが自分に合ってるのかもしれない。かけ声であるとかね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;へー。山賀っちの体のリズムに合った何か、反応させる何かがあるのかな。山賀っちの作品にはそれに近いことってあるの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;俺の作品では歌モノの曲を使うことが多いんだけど、踊ってて2コーラスくらいまではいいんだけど、3コーラスくらいからは曲に飽きちゃうことがよくある。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;（笑）それ今の話と関係あるの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;それは、飽きるのは、ビートがずっと同じだからなんだよね多分。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;和風の方は違うの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;そう、ずっとおなじじゃなくて、ちょっとまったりしたり、急に早くなったり、またどっしりと重くゆっくりになったりと、変化に富んでるんだよね。間とか休符のとりかたもかな。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;あー、なるほど。生き物みたいにリズムそのものがいろいろ変化していくような感じなのかな？確かにそれは山賀っちのダンスに通じるところがあるね。&lt;br /&gt;西洋のダンスでそういうリズムのものってないの？じゃあ、もしかしたらアジアの他の国では、音楽とか西洋のリズムと違うモノがあるかもしれないよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈音にインスパイアーされる？〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;作品を創るというよりも、１時間なら１時間、音楽かけっぱなしで、飽きずに面白がって踊ってる所を見せていられたらいいなー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;前にハワイアンかけながらずっと踊ってるの観たけれど、あれはあれで面白かったね。普段、いろいろな曲を使うじゃないですか？どうやって選んでるんですか？作品に手をつける前に、この曲使いたいとか思うんですか？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;同時進行だったりすることが多いんですけどね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;『ヘルタースケルター』とかは？その曲を聴いてやりたいと思ったんじゃないの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;ああ、あれはそうだよね。岡崎京子のコミックマンガの方が先かな…。マンガの名前が「ヘルタースケルター」なんだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;ああ、そうなんだ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;最後のシーンでビートルズのヘルタースケルターの曲がかかると主人公の女の子が出てくるというシーンがあって。それが衝撃的なんだよね。その作品に刺激をうけたんだけどね。「変身」という要素が大きい作品だと感じて、だからあの俺のやった「ヘルタースケルター」では女の子に変身するとどうなるか？っていうことをやってみた。そこに繋がるわけですよ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;なーるほーど。深いねー。でもぜんぜん気づかなかった。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;まあ、それを見せるのが目的ではないからね。インスパイアされるだけど、それでいいんだよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈山賀の新作は果たして？〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;新しい作品はどうなの？今創っている？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うん、さっき言った作品で初めて、女装して踊ったという事があったので、もう一回やろうかどうかというのが悩みどころなんだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;悩みどころなんだ？まだ決めてないんだ？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;ん、まーねー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;「卒業」っていうのは何なの？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うん、だから女装して踊るのはこれが最後にしようかなーって思って。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;（笑）&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;そういう線もあるし、何か俺中途半端で。キリをつけたいっていうのもあるんだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;えー？これでダンスやめるとか？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;いや、やめないけどね。なんか区切りをねー、人生の中で、イマイチつけてないような感じがあって。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;決めなくちゃならないんじゃないの？何に決別するかを。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うん、そうだねー。そのへんは曖昧なんだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;（爆笑）意味無いジャンよおー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うん卒業するつもりだったけど、やっぱり留年しようかなーとか。卒業？するの？しないの？どっちにするの？みたいなさ。（ ）がつくようなさ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;なるほどねー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;それ、決められないのはいつもの通りだけどさ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;じゃ、いつもの通りなんだ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;そう、そうなんだけどねー。舞台に立ったときに、どっちなのか？卒業するのかな？っていう。で、３月は卒業シーズンだしね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈手塚は「道場破り」企画というのを始めた〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;最近「道場破り」というのを始めたのね。自分が好きだったり尊敬していたりするアーティストの方法論にとても興味があって、もっと深く知りたいというのが一番の理由かな。それとアーティストってみんな孤独に作業していて、自分を確認しきれなくなったり、不安になったり自信を見失ってしまう危険がいつもあるから、共感できる関係を紡ぎたかったっていうのもあるかな。やって良かったのは、自分の中で「これしか答えがない」と思ってしまうところがあって、自分の中で何が正しいかという答えが限定されて、狭くなってしまう。こういうことは駄目、あれも駄目、これしか正解じゃないというふうに。でも他の人のものを、無理やりにでもやってみると、自分の中でぜんぜん使っていなかった心と体が出てきて、ラジオのチャンネルに例えると、ああ自分は1つのチャンネルしか聞いてなかったんだな。よくよく探してみると他にもいっぱいチャンネルがあったんだ。自分の中にもね。そういう拡がりみたいなものは持てた気がする。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;なるほどね。それで今度、俺のダンスにも手塚が取り組むことになったわけだけど、どうなっていくのか楽しみだね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;うん。そのうちに「道場破り合い」というのをやりたいと思っていて、今は「手塚が道場を破る」ってことでよくて、その後お互いに興味がある相手に対して、お互いの「道場破り合い大会」をやりたい。誰が誰を破りたいか、お互い好きに選択してやるようなイベントにしてもいいし。いろいろな可能性があるのではないかなと思って。また、そのうち地方に行くような道場破りもやりたいな。&lt;br /&gt;山賀っちは今、もう今東京と一緒になってしまってるけど、例えば、前橋に行ってみんなで山賀っちの道場破りに行くぜとか、松山のヤミーダンスの所に行くとか、まあ、そうなればある程度助成金とか必要になると思うけど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈アーティストの関わり合いについて〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;アーティストに助成金を取って企画をたてるくらいの気持ちがないとなと思う。アーティストが協力し合って助成金を取ったり場所を確保したり、そういう体力があったらいいなと思う。今は、それなりにダンスが流行ってるからいいけど、やれる場がいつまであるかなんて何の保証もないし。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;まあ、ダンサーはそれぞれ好みも違うし、人と一緒に何かをっていうのは難しい面もあると思うけどね。人と出来ないからソロでやってる人も結構いるだろうし。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;それはそうなんだけどね、まずは、自分の領域っていうか、自分自身が良く分からないっていうような切迫した思いがあって、自分自身を見つめないと、出発できないということはある。だからソロを徹底的にやるというのはいいことだとは思う。でも、関係することで引き出し会える力とか、関係することで何か新しい事ができるっていうことを私は結構信じているんだよね。それは普通の人同士でも本当は難しいことだけどね。国と国の関係でもその延長線上の難しさなんだと思う。価値観の違いや利害関係によるトラブルっていつも起きる。でも、だからといって「関係」を持つことを諦めていたら、それはアーティストとしての役割を放棄してしまうことになるんじゃないかなって。アーティストには関わることで創造的な物事をつくり出す力があって、それを実現することで「関わり」の可能性を示していくことができる。世界に対して。このままだと「ダンス」あるいは「芸術」が人に対して世界に対して、役割のあるものにはなっていかないんじゃないかな。本人にとってやることが必要であっても、そのままだと…&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;人に見せなくてもいいものになりかねないよね。人に見せるということ自体、「関わり」というかコミュニケーションをする行為なわけだしね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;そこに役割を見いだせないとアーティストは仕事を続けられないよね。逆に、人にとって、アーティストの仕事が役割を持つようになれば、それは必ず続ける場を与えられるし、お金さえ巡ってくる可能性が出てくる。今は、残念ながらそう受け取っていない人が殆どなのかもしれない。娯楽は必要だけど、アート作品が切実に必要だという人は少ないと思う。だからお金も廻って来ない。でも、人はこれから大変な時期を迎えるでしょ？学校も、その制度も、戦争も、環境問題も、何もかも大変な状況になっていくから、その中で「“関わり”ということは人はもう駄目だね、人はもう利害関係でしか関われないんで、戦争も避けられないし、犯罪も避けられないね」みたいなそういう方に突っ走ってしまう可能性は高いと思う。だから、それに対してアーティストの果たさなければならない役割はある。それは政治的に発言していくとかいうことではなくて、自分というサイズで、「自分というたくさん壁を持った人間が、そういった人同士でも、関わることで力を引き出し会える」ということを、見出していけて始めて、役割を持つことが出来ると思う。牽制し合うとか否定しあうとか「自分の方が」という気持ちにアーティストはなりがちだけれども、それだと、本当に摩擦が起きている国と国の関係と変わらないし、それだけでは現代のアーティストとしては、「コンテンポラリー」のシーンとしては絶対駄目だと思う。だから関わりの可能性みたいなものをどうやったらお互い引き出す気になれるのかな、というのが今の私の思いで、「道場破り」はそのキッカケになったらいいなと思ってる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〈お互いの作品づくり〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;手塚はどういうところに興味があって作品づくりしているのかな？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;今までは、体の一部分に意識を集中したりすると、体が勝手に動いてしまったりとか。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;それも良く、体が勝手に動くよなって思うよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;余りにも一部分だけに意識を集中したらね、他の自分ていう感覚が薄くなってしまうのね。物質的なモノのほうが、体の一部、っていうその部分の方がクローズアップされすぎてしまい、自分の一部というよりはそこが勝手に生きているみたいな感じになって、そうなると体が勝手に動き出すんだよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;どこか体の一部分を意識するとかさ、ずっと止まってますとかさ、そういうのは出来ないタイプなんだよねー、俺。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;ああー…。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;だから手塚的手法がまず出来ない。集中しよう、集中しようと思うことが、もう駄目。１５秒くらいで駄目っていうかね。子どもみたいにワーって動いてるときに何か面白いものが生まれてくるから、集中できないよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;でも、『えんがちょ』の最初のところはさ。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;あー、あれは辛くってねー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;（笑）あーもしかしたらあれ、山賀っちが辛いから面白いんだね。もう立ってるだけで、すっごくおかしくなっちゃうんだよね。立ってる姿が…。何か耐えてるっていう感じなのかね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;決まり事をもうやりたくないなーというのは、あるんだよね。それなんで、即興的にばーっと１時間なら１時間踊れちゃえばいいなーというのがあるんだけど。でも、実は負荷を与えられた方がいいんかな？本当は…。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;うん、だからちょうどその間くらいがいいよね&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うんその両方というかね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;そういう意味で私はディープラッツで見た『愛の嵐』が良くて。あれはほぼ即興に見える状態に持って来れたように思う。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;頭っから即興だったもんね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;でも段取りはきまってるでしょ？&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;それはね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;段取りがはっきりあることと、その中で自由であるということが、ちょうどいいバランスのラインを出せたと思う。そのラインがでたらそれが成功だと思う。それがどうしても細かい所まで創り込まないと不安になったり、あるいはそれがすっかりいやになって、全部即興になってしまったり、そのちょうどいいラインを見つけだせないとどっちかに振り切ってしまうのではないかな。それはもったいないよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;うん、そうだねー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;次回作は、きっとそれが絶妙のラインに…&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;分かんないけどねー。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;て言っておいたほうがいいかなと思って。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;かな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;二人の方法論はぜんぜん違うし、それを見てほしいよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;そうだね、両方見て欲しいよね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;上演する日も一週間の違いだし。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;どのようにぜんぜん違うのか見て欲しいですね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;山賀　&lt;/span&gt;話は合うけど、やってることは違うもんね。&lt;br /&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;手塚　&lt;/span&gt;それから、「道場破り企画」で山賀っちを破りに行くしねー。そちらもいつになるかはまだ未定だけど、是非乞うご期待！というところですねー。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/5264198271574770590-6929840610603186863?l=natsukote-recome.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/feeds/6929840610603186863/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=5264198271574770590&amp;postID=6929840610603186863' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/5264198271574770590/posts/default/6929840610603186863'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/5264198271574770590/posts/default/6929840610603186863'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://natsukote-recome.blogspot.com/2008/04/blog-post_24.html' title='山賀ざくろ　インタビュー'/><author><name>手塚夏子 Natsuko Tezuka</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03608791654012026025</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry></feed>
